2016/10/02

犬の遊びと犬の友達 (1)

犬オタクのメモです。

世界的に有名なビヘイバリストのレクチャーで犬の遊びや犬の友達について「えっ?」と思うような話があったので自分なりに考えてみました。

大まかな彼の意見:

* 家庭犬として繁殖された犬種(雑種も含む)で、家族が自分たちのライフスタイルにあった犬を選べば、トレーニングも必要もなく、犬は家族の一員となる。
* 特別な意図をもって繁殖された純血種は、それを活かせる愛好者のもの。家庭犬にするのには、それなりのトレーニングが必要だろう。
* 犬が家族の一員なら、多頭飼いの必要はない。先住犬に仲間を与えるために新しい犬を迎えるのは、犬にペットをあたえるようなもの。人間の家族に満足していれば、犬の仲間はいらない。
* 人間の家族として一生過ごすのだから、パピィクラスやドッグパークへ行く必要はない。犬の幼稚園も反対。犬同士の関係を築かないほうが、対犬のアグレッションがなくなる。対人間の社会化は実生活で。犬を飼っていない人との接触も大切。
* ドッグパークは犬を社会から隔離するもの。公共の場で広く犬が受けいれらるよう飼い主がモラルをあげるべき。それにより犬の自由も広がる。
* 挨拶程度の接触はあっても、犬同士遊ばない。
* 遊びは飼い主と。もってこい遊び奨励。週一回程度、犬種の特徴を生かすアクティビティ。
* クレート、ドッグフードは嫌い。

パピィクラスが悪といわれても、一番稼げるレッスンだから、レクチャー聴いていたトレーナーはドン引きしたかもって思いました。

考えがおっさんと似たところもあるので、犬にリードをしてなかった世代との世代差があるのではないかと思いました。

犬にリードすることが始まった時点で、社会と犬のふれあい方がかわり、新しい形の犬の社会化などの必要性が出てきたのかもしれませんね。

犬同士で遊ぶ経験をさせないことについてですが、チェコの大学のリサーチで、飼い主との関係が良好な場合、環境の変化などに不安を示さない傾向があるということから、犬の友達が必ずしも必要ではないとしている意見もあります。

少なくとも、人間の家族の一員として満たされたていれば(この点が難しそうですが)、犬同士遊ぶことを目標とする必要はないとは言えるのではないでしょうか。

このビヘイバリストは、盲導犬の訓練にも携わっている人で、盲導犬パピィの家に犬がいると盲導犬になれる確立が下がるという例を出していました。

どんな経験であっても、犬への興味が増し、犬を見たときに何らかの反応(行動)をするようになるということなのかなぁと思います。

でも、盲導犬パピィが犬と接触が多いと犬への興味が増すって、やっぱりそちらのほうが自然で、それを人間の都合で、接触を絶つのは正しいことなのかという疑問はあります。(盲導犬パピィは目的があるので、盲導犬パピィに対する批判ではありません。疑問に感じるのは家庭犬にという点です。)

家庭犬を盲導犬のようにより社会に受け入れやすい犬に育て、結果として犬の自由や生活の質が上がり、犬が社会と共存することで、捨てられる犬もいなくなり、犬の事故なども減る、というのが彼のロジック。

人間のコミュニケーションだけで育てられるので、飼い主が怖くないものは怖くなくなり、道であう犬には、人間同士が軽く挨拶する程度の挨拶だけするようになるとか。

これも行動修正の「刺激の排除」の方法でなんとなく説明がつくと思うので、めちゃくちゃな話ではなさそうです。

でも、これは行動学からみた場合の話であって、犬の幸福感や充実感はどうなんだろうと思おもうし、犬同士の関係を作るかどうかは個々の家庭の判断になるのかなぁと思います。

ドッグパークへ来ている人でも、他の犬と遊ばせない人たちは結構いるので、犬同士遊ばせないという考えは案外ポピュラーなのかもしれません。

リードしているときは、挨拶もさせない人たちもいます。

ココはアダプションの資料に前の飼い主からの情報で、一番好きなことが「他の犬と遊ぶこと」となっていたので、他の犬と遊べるようになるようトレーニングがんばったんです。それがなかったら、犬と遊ぶことを目標にしてなかったとおもいます。あまり犬と遊ばないし、でも、ドッグパークは大好きです。

ジェイクは、犬との接触を断ったほうが楽だったタイプだと思います。でも、犬と遊ぶのが大好きで、犬との関係を埋めるほどの関係もまだ出来ていないのに、それを絶っていいものなのか、迷うところはあります。

人間のルールで生きれば(家畜化されていること?)犬の行動範囲がが広がり、犬に犬らしさを求めるとより社会から隔離しなければいけなくなるというパラドックスな状態にあるのかも。

まとまらない話になってしまいましたが、犬の遊びについても次回メモを残しておきたいと思います。

4 件のコメント:

  1. 犬に首輪をするのも人のエゴだと思ってたことがあるけど(おっさんに似てる?)、犬が社会で生きる道だと理解して、犬の許容の広さに感謝してます。

    リードですれ違う時、キットの気持ちを汲んで素通りしたいんですが、当然のように犬を近づけてこられるのがストレス。道の真ん中でフセでまちぶせポーズされるのも。自分の犬と遊ぶ犬しか知らなくて、犬はみんな喜ぶと思ってるのかな...

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  2. おっさん、コングも敵だから・・・自分が子供のころになかったものは嫌いなタイプ?
    このビヘイバリストも骨につめているみたい。笑

    リードしている時は、お互い無視が楽だと思うんだけど、リード外す機会が減ってくると、リードしてるしてないとか関係なくなってくるのかもね。露骨に方向転換したら、相手も気づくかなぁ?フレンドリーだから大丈夫って言われそうだけど。笑

    「無視しなさい」って自分の犬にいうのも、お堅い飼い主だと一言言われそうだよね。

    ジェイクは、結構普通に挨拶できるんだけど、ちゃんと挨拶できたら遊べるって思っているから危険です。

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  3. >先住犬に仲間を与えるために新しい犬を迎えるのは、犬にペットをあたえるようなもの。
    はい、与えてしまいました。で、おとなしくペットになる犬ではなかったと。(苦笑)

    そのパラドクスは私もよく思いあたる項目です。
    それで、こういう場面で語られる犬は、ある程度家庭犬をクリアしている犬だなとも思います。
    例えば、カザフスタンの野犬とか含まれないわけで、、、でも、確実にそういった犬の遺伝子も引き継がれて(特に最近の保護活動で)今まで相手にしてきた犬とは違うタイプの犬の登場に、もっと奥深い研究も必要になってきたような気もしています。

    あと、私が学生のころに預かっていた猟犬は、それまで他の犬とのコンタクトはなかった人生でしたが、街に来て、100頭くらいの犬と知り合っても、まったく動じなかったです。遊んでみたり、ふーん、という感じだったり。今考えると、かなりクールでした。
    犬って生まれた時点で受け継いでいるものが大きいんだと思うこともしばしばありますね。。

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  4. このビヘイバリストも、家庭犬と犬オタクの犬と分けて考えているような気がしました。

    安定した家庭犬を出しているブリーダーから仔犬を買って育てるって、なんか面白みがないって感じてしまいます。笑 やっぱり、私は、犬オタクの部類に入ってしまうのかも。でも、実は、ココが来る前、ゴールデン探していたんですけどね。これはこれでまた違った体験になるんだろうなぁ。

    動じないタイプの犬はいいですよね~。ジェイクは、怖がりじゃないんですが、落ち着きがなさ過ぎる・・・

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