ホースマンシップ、馬術っていう言葉は使われますが、犬にはドッグマンシップとか犬術とか言わないから、それが必要ないぐらい人の側で暮らすことが自然な動物なのかなぁと思っていました。
そして、クラウス・ヘンプフリングの馬のビデオみて以来、自分の犬学に対する考えがかなり変わりました。今まで言葉に上手くできなかったことを示してくれたと思いました。
ナチュラル・ホースマンシップは、自然界での馬の行動を理解し人が馬とのコミュニケーションを高めることで、不必要な力に頼らないトレーニング法です。
1980年代ぐらいから広まってきたそうなんですが、基本的な考え方は古来から伝わっている方法とかわらないじゃないかという批判もあるそうです。
ホースウィスパラーとも呼ばれているみたいだけど、ドッグウィスパラーはここから来たのかなぁ?
犬道を究めようとして、たどり着いたのが結局シーザーってなんか興味深いですが、初めからシーザーなのとクラウスを通すのではちょっと違いがあるような気もします。
特に今参考にしているのは、「Sacking out」という馬のトレーニングで使用されている脱感作です。恐怖心を絞り出すという意味ですが、ストレスがかかりすぎるのではという懸念からポシティブなトレーナーからの批判もあります。
「Sacking out」では「Think Like A Horse」というyoutubeのチャンネルを参考にしました。
慣らすという目的で馬にトラウマになるようなことをするのではなく、恐怖を感じた時に馬が人とコミュニケーションをとることで恐怖を取り除くスキルを人が身に着けることがポイントなんじゃないかなぁと思います。
馬が怖がっている物を人が100パーセントコントロールしているので自分に危害は及ばないというハンドラーへの信頼を馬から得ること。危ないことを無理やりさせることはないし、馬が出来ないとおもっていることを出来るんだよと導くことのようです。
これが「挑戦」なのか「ストレス」なのかは、ハンドラーの態度次第なのかなぁと思います。
もともと怖がりな草食動物が戦火の中でもパニックになることなく、ハンドラーに従えることを考えると自然界では得ることができないレベルの安心と信頼を人から得ているってことじゃないかなって思います。ペットとして飼われている犬も、この安心と信頼を人から得ることが出来なければ人と一緒に住んでいる意味がないように思います。犬と人の関係が食べ物だけっていうのも味気ないし。
「Think Like A Horse」でも指摘されていましたが、食べ物を使った方法の是非より、食べ物がなくても対応できるようにしておくことも重要だと思います。
年取ってきて方向性が変わってしまったようなクラウスですが、高い身体能力で馬からリスペクトを得られるというところは犬でもそうかなぁと思っていたので共感できました。
棒さえ自由に操ることができないのなら、馬とより確かなコミュニケーションをとるだけの体を使った表現はできないという考えかなぁと思います。
余談ですが若い時はこんな感じでした。犬たちも楽しそうですね。
この考えをココとのブラッシングや爪切りに応用してみました。
ココが受け入れやすい方法を探る。そして、グラインダーをちょっと離れたところにもって、電源を入れたり切ったりして、私が操作しているところを見せたりしました。
ブラッシングの時も、ブラシを扱うテクニックを見せるようにしてみました。
今までは手際悪いヤツって思われていたと思うけど、これでココは私のことを「達人」とおもったかなぁ。
Dogmanshipってどの程度認知度があるのかも調べてみました。
シドニー大学でDogmanshipと題して人のふるまいの犬の行動への影響と犬とのコミュニケーションを高める方法のリサーチが行われているそうです。
犬をトレーニングするのではなく、飼い主が修行するのが次のトレンドになるかも!