前回の記事で暴力的な訓練の是非について、世界的にみてどうなんだろうかと考えてみました。
まず、ヨーロッパの国々は動物の権利や福祉が法律で高く守られていることもあって、動物に痛みを与える嫌悪刺激犬具は使用できないとなっている国が多いようです。
フィンランドとか、自宅でクレート使うのもNGだったりします。
クレートの話が出るたびに、クレートは虐待だと主張したりして、よくフィンランドとアメリカの人たちの間で論議しているのをみかけます。
あまり語られていませんが、フィンランドでは犬が反社会的な行動をすればそれが一度でも殺処分の対象になることがあります。
だからこそ、飼い主は自分たちの知識とスキルを磨く努力を欠かないといっていました。
それぞれのコミュニティーで、飼い主がクラスを受講したりしやすいようです。
仔犬の引き渡しのタイミングも、10週間に変更する案もあるそうです。
(10週間以降にした場合、手間いらずの犬になるといわれています。)
去勢・避妊もしないというところは日本に似ていると思います。
よりよい繁殖と飼い主への教育に力をいれて、暴力的な訓練を排除しようというスタンスだと思います。
昔ながらのハンターとかは、蹴ったり、犬を捨てたり、犬の扱いが悪いのはどこもそうなのかなぁと思いますが・・・。トレーナーがお金もらって、ひどい体罰を与えるってことはしないってことかなぁと思います。
アメリカでは、近年、LIMAというコンセプトが広がってきました。
Least Intrusive, Minimally Aversive
(もっともしめつけが少なく、もっとも苦痛が少ない)
プロのトレーナーやビヘイバリストがトレーニングや行動修正のプランを立てる時、効果が期待できて、もっともネガティブな副作用が少ない方法を選ぶというものです。
嫌悪刺激犬具が存在したままで、暴力的な訓練を排除して、トレーナーのスキルアップを期待するものです。
日本のように、体罰を信じている人が多い場所では、LIMAのモデルのほうが受け入れやすいかもしれません。
問題点は、より優しい方法をちょっと試して効かなかったと体罰を肯定したり、体罰を全面禁止するあまり、できることが行動を規制することになってしまい犬のQOLを下げてしまって、身動きが出来ないぐらいしめつけ度をあげてしまったりと人間の極端な行動を排除するのは難しいところです。
LIMAのコアになる考えは、トレーナーが高いスキルを身につけることだと思うので、常に学び続けることは重要だと思います。サービスを利用する消費者としても、よりよいサービスを受けることを期待すべきということだと思います。
あと、LIMAはCynopraxicトレーニングのSteven R. Lindsayから派生した考えと、Susan FriedmanのHumane Hierarchyを元にしたもので、体罰などの罰の扱いが異なるので、「LIMAに基づいたトレーニング」とうたっているトレーナーでも、具体的に訓練法を聞いたほうが安全だと思います。
どちらも、考えを理解することでトレーニングの質を向上させるツールにはなると思います。
「ボスになれ」系は、苦痛を与えるというほどでなくっても、犬と人の関係性に悪影響になることが多いので、「もっともしめつけが少なく」というところが守れなくなるので、LIMAに基づいてないことが多いと思います。
ポシティブとうたっていても、報酬で釣ったり、無視を多く使ったりしているトレーナーはスキル不足だとおもうので、もしうまくいかなかったとしても、訓練法が使えない理由にならないと思います。
馬のトレーナーのヘンプフリングも、自分の体の動きを理解していない人には馬触らせないといっていたので、飼い主も修行しなきゃと思います。
ダンバー博士のおじいさんの言葉:
「動物に触れることは、徳をつみえられた特権である。人の権利ではない。」
動物に直接触れなくっても、今使っている道具や自分の考えを捨てなくっても、新しいことを学ぶことはできると思います。
犬オタク(褒め言葉です)のCoco Bさんに、挑戦してきた方がいたんでしょうか :D 内容の想像しちゃった。
返信削除いつも最新情報をありがとう。LIMA知らなかった。英語弱くて文献とか読むのにひどく苦労するので、日本語で説明してくれてありがたいです。これからもよろしくね〜(人任せ)!
日本の知人の犬、噛むからとその度に躾と称し殴られ、しまいには犬歯を抜かれました。ペットショップから来た日本犬。元警察犬訓練士という人に預ける、って言っていたのを止めたこともあります。それでもその人のことを一番愛しているのはその犬だと思うと、胸が張り裂けそう。
いつものごとく考えがよく固まっていないけど、興味のある分野です。
削除アメリカ人の人が昔買っていた柴犬のことを今から思い返せば彼は神だったと思うって言っていたのを思い出しました。日本犬の特質を理解して受け入れることができた人なんだなぁと。今の日本人も日本犬を神だとおもって扱えば、うまくいくかもしれないなぁと思いました。少なくとも神を殴らないだろう・・・。